竹取物語

 「今は昔、竹取の翁がいた。野山に入って竹を取ってはいろいろなことに使っていた。
その翁の名は、さぬきの造(みやっこ)といった・・・・。ある時,この翁がいつものように山にはいると1本の光り輝く竹を見つけた。切ると中から美しい女の子が現れ,かぐや姫と名付けられる。」
 竹の中から生まれたかぐや姫が竹取りの翁に育てられ,5人の若者や帝の求婚されるが,中秋の名月の夜,月へと昇っていってしまう。この物語が竹取物語で,日本最古の物語とされる。

 全国で竹取物語に関係のある場所は静岡県富士市,奈良県広陵町,京田辺市,京都府向日市,香川県長尾町,岡山県真備町,広島県竹原市,鹿児島県宮之城町の8市町ある。

 その中でも奈良県広陵町は読売新聞(昭和61年3月15日付夕刊)にも紹介され,竹取物語の舞台として有名になった。

 実はこの竹取物語に登場するかぐや姫への求婚者5人の名は,「壬申の乱」に関係する実在の人物だった。ということは,「壬申の乱」の後,都は飛鳥にあったので,これら5人の住まいを考えると竹取物語の舞台は奈良地方となる。



讃岐神社案内
 讃岐神社入り口案内板
 「竹取物語」(平安時代、作者不詳)に登場する竹取翁の出身部族である讃岐氏は,持統-文武朝廷に竹細工を献上するため,讃岐国(香川県)の氏族斎部氏が大和国広瀬郡散吉郷に移り住んだものとしている。翁の讃岐姓は,「和名抄」の大和国広瀬郡に散吉郷があり「大和志」では「散吉郷廃村済恩寺村」として,現在の北葛城郡広陵町大字三吉の済音寺集落付近に比定している。又この付近に「薮ノ下」,「薮口」,「竹ヶ原」という地名があり真竹孟宗竹等の竹林が多数残っている。三吉の北部には讃岐神社が鎮座し「延喜式」神名帳、広瀬郡の讃岐神社がこれに当たるとされる。「竹取物語」の舞台が大和国であったことはかぐや姫の求婚者であった五人の貴公子の名が,持統朝末期から文武朝初期にかけて朝廷の中心にいた五人の実在の人物に比定されることも符合する。   
 延喜式神名帳に記されている神社だが,創祀・祭神は不詳。 讃岐神社
讃岐神社 (奈良県北葛城郡広陵町)
 公園内の案内板
公園内の案内板((里中満智子絵)
かぐや姫に求婚した5人
 ・石作皇子(いしつくりのみこ)
        丹比嶋真人?(たじひしままひと)
 ・車持皇子(くらもちのみこ)
        藤原不比等?(ふじわらふひと)
 ・右大臣阿倍御主人(あべのみうし)
 ・大納言大伴御行(おおとものみゆき)
 ・中納言石上麻呂足(いそのかみまろたり)
        物部連麻呂(もののべのむらじまろ)と        同一人物

 「壬申の乱」(672年)に活躍した実在の豪族の名が使われている。
(「壬申の乱に登場する主な人物」参照)
 竹取公園から二上山が見える。公園内には里中満智子作の絵が歩道に沿って置かれている。 竹取公園
竹取公園(広陵町大字三吉)