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童謡に歌われる金太郎(きんたろう)は、平安時代の侍で坂田公時(さかたのきんとき)の幼名と言われています。実在の人物とは断定できないとも言われますが、坂田公時は丹波国大江山の鬼退治で知られる源頼光(みなもとのよりみつ:らいこう)の「四天王」と呼ばれている家来の一人です。 幼い頃の坂田公時(金時)=金太郎が生まれ育った舞台は静岡県の金時山(きんときやま)周辺にあります。 金時山周辺で金太郎が生まれたとされる場所は2か所あります。現在の静岡県駿東郡小山町と南足柄市です。両地区に金太郎が生まれた場所が残っています。 また、長野県にも金時山があり、金太郎の話が伝承されています。 |
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南足柄市の金太郎 金太郎歌碑 |
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南足柄市に伝わる話では、金太郎は四万長者の屋敷で産まれ、夕日の滝の水を産湯にしたと言われています。 | ||
「金太郎伝説の里」 |
南足柄市の金太郎伝説地には御殿場から足柄街道-足柄峠を越えて入るルートと小田原から伊豆箱根鉄道大雄山駅前を通り78号線を足柄峠に向かって行くルートがあります。途中、「金太郎伝説の里」と書かれた立派な案内が立っている(地図)ので、夕日の滝へ向かって折れ、地蔵堂に立ち寄ります。大雄山駅からは本数が少ないのですが箱根登山バス地蔵堂行きが出ているので、終点で降ります。 | |
地蔵堂地区に足柄兵太夫という名の四万長者がいました。長者には八重桐という名の娘がいました。八重桐は現在の足柄上郡開成町に住んでいた酒田氏に嫁ぎました。しかし、一族の争いが起きて生まれた屋敷へもどってきました。その時八重桐は身ごもっており、しばらくしてまるまると太った元気な男の子を産みました。そして、名を「金太郎」とつけました。 地図 |
金太郎生誕地跡 |
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夕日の滝 入り口 |
金太郎が産まれた時、屋敷から山に入ったところにある夕日の滝の水を産湯に使いました。 夕日の滝へはキャンプ場の前を通り川にかかる赤い橋を渡ります。地図 |
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橋を渡ると金太郎歌碑があります。 | 金太郎歌碑 |
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夕日の滝に向かう森 |
木の根が露出している道を50mほど上ると滝の音が聞こえてきます。時々この滝に入って心身を鍛えている人たちを見ることができます。この滝を見に出かけたのは日本全体が寒波に覆われた2月の雪降る日でしたが、朝から滝に打たれている人たちが10人ほどいました。関東の人たちだけでなく、愛知県からの参加者もいました。 | |
夕日の滝 |
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「この滝は、酒匂川の支流内川にかかており、高さ約23m、幅約5mです。 夕日の滝という名称は夕日に映えるその美しさからきているようですが、説によると、毎年1月15日に太陽が滝口の中央に沈むので、その名がつけられたと伝えられています。また、昔はこの滝より下に6滝ありました。」 -夕日の滝案内板より | ||
地蔵堂 力水 |
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夕日の滝の横に地蔵堂があります。この近くの湧水を浄化して「金太郎の力水」として飲用することができます。飲んでみると冷たくてやわらかい感じの水でした。 | ||
かぶと石 たいこ石 |
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金太郎は村でも評判の元気で力持ちの子に育ち、屋敷の前にあった大きな石で遊んでいました。今でも「かぶと石」「たいこ石」と名付けられた金太郎の遊び石が残っています。いつも腹がけ(腹あて)を身につけ、まさかりを担いでいたと伝えられています。また、屋敷の西にある足柄山や南の金時山へ出かけて動物たちを相手に遊びました。この頃の様子が童謡として歌われています。 地図 | ||
地蔵堂(足柄地蔵尊) |
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八重桐には山姥(やまんば)伝説もあります。夫の坂田蔵人が亡くなると、生まれ故郷に帰った八重桐が狂乱し、山へ入って山姥となったと言われています。この山姥は街道を往来する人たちを襲っていました。 そのため、地蔵堂の本尊である地蔵菩薩が金太郎を3年間隠してしまったのです。 地蔵堂の中には、八重桐の木像がまつられています。 |
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大雄山駅前の金太郎像 |
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伊豆箱根鉄道大雄山線の大雄山駅前には動物たちと遊ぶ姿の金太郎の像があります。駅前には金太郎まさカリーパン などの看板が見られました。地図 | ||
また、駅の入り口に金太郎大明神があります。金太郎は「立身出世を果たした大変運気の強い人物」とされ、この像に触ると、ご利益が授かるそうです。 *鉞(まさかり)→まさか利→まさかのご利益(りやく) |
金太郎大明神 |
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南足柄市役所の金太郎像 |
そして、南足柄市役所の中にも大きな金太郎像がありました。 | |
小山町の金太郎 |
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御伽草子で語られる金太郎はとても元気で力強い子どもです。赤い腹がけを身につけ、まさかりをかつぎ、いつも動物たちを相手に力比べをしています。同時に金太郎は動物たちをかわいがるとてもやさしい子どもだったと小山町に伝わっています。小山町の話をもとに金太郎の舞台を紹介します。 | ||
金時山 標高1213m、富士箱根伊豆国立公園にある山で、金太郎が育った山です。 「まさかりかついだ金太郎♪熊にまたがりお馬のけいこ♪ はっしどーどー、はいどーどー♪はっしどーどー、はいどーどー♪ 足柄山の山奥で♪けだもの集めて相撲のけいこ♪ はっけよいよい、のーこったー♪はっけよいよい、のーこったー♪ |
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金太郎は956年(小山町の案内板には958年と書かれています)5月(天暦10年)に現在の静岡県駿東郡小山町で生まれました。母は彫り物師十兵衛の娘八重桐(やえぎり)で、京に上ったとき、宮仕えをしていた坂田蔵人(くらんど)と出会います。二人は結ばれ、やがて八重桐は身ごもります。八重桐はふるさとの地で子を産むことを決心し、金時山麓の屋敷にもどります。その後、父蔵人は身内の抗争で京で亡くなってしまいました。そのため、母は京にもどらず、ふるさとの地で金太郎を育てることにいました。この他の伝承では、八重桐は金時山の頂上で寝ていて、夢の中で赤龍と結ばれて懐妊したと言われています。 | ||
あさかえ湯 小山町湯船 |
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金太郎を身ごもっていた母八重桐は毎日自宅のある中島からここ湯船の温泉に養生のため通ってきていました。八重桐はいつも夕方訪れて温泉に泊まり、翌朝夜明けごろに帰って行きました。そのため、朝に帰るから「あさかえ湯」と呼ばれるようになりました。現在は営業していません。 |
子産田 |
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金太郎の母は、温泉へ行った帰りに急に産気づき、野沢川のほとりで金太郎を生み落としました。ここ子産田は金太郎が生まれたところです。真っ赤な男の子を抱いた八重桐は中島の家に帰りました。 | |
ちょろり七滝 小山町中島 |
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家にもどった母八重桐はこの滝の水を産湯として使ったと言われています。 その後、村人たちは生まれた子どもが立派に育つようにと願いこの滝の水を産湯として使っていたそうです。 |
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金時屋敷・金時神社 小山町中島地図 |
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金時屋敷と呼ばれ、金太郎が生まれ育ったところです。子孫の家もここにありました。現在は金時神社があります。 | |
第六天社 小山町中島 |
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金太郎は家の近くにある池から生きたメダカを捕まえて社にささげていました。これは母が赤飯や魚を社にささげているのを見ていた金太郎が、そのまねをしていたのです。 | |
沼子の池 小山町柳島 |
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池に遊びに来た金太郎がたいへん大きな鯉を見つけました。金太郎はこれをつかまえようとして池に飛び込みました。金太郎が両手を伸ばして鯉に抱きつこうとすると鯉は天に向かって跳ね上がりました。 | |
金時杉 |
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金太郎が上って遊んだ杉が屋敷の裏にありました。しかし、あまりの大木のため付近の田んぼに日が当たりませんでした。そこで、明治の初めに切り倒されてしまいました。その後、大木を切り倒してた人が発狂したため、たたりと恐れられ、2代目の杉を植樹しました。 | |
八重桐の池 |
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大正時代の始めに造られた貯水池で、金太郎やその母八重桐の名を後世にも伝えるために名付けられました。 | |
足柄駅の金太郎 地図 |
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公時神社 神奈川県箱根町 地図 |
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神社案内より 「御祭神は坂田公時。平安後期の武将源頼光の四天王の一人と言われた。幼名を金太郎といい、怪力の持ち主で熊と相撲をとったと童謡にある。強健で武勇に優れた人物として五月人形にもなり、子どもの神、健康の神として広く崇められている。毎年五月五日この地で「公時祭り」が行われている。金太郎伝説に関わる事物として宿石、菜畑、蹴落石、手鞠石、鯉が渕、姥子などがある。」 |
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足柄峠・古道(神奈川県)地図 |
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976年4月28日、源頼光は家来たちとともに東征を終えて京の都へもどるため足柄峠を通っていました。ここで源頼光と金太郎(21歳)が出会います。源頼光は金太郎の体が大きくたくましいのを見て家来としました。金太郎は名前を坂田公時(きんとき)と改名して都にのぼりました。 やがて、源頼光の四天王と呼ばれるほどになりました。(四天王と呼ばれるようになったのは他に渡辺綱(わたなべつな)、卜部季武(うらべすえたけ)、碓井貞光(うすいさだみつ)がいます) 990年3月26日、丹羽の国の大江山(京都府福知山市)に酒呑童子が住んでいて、都で悪事をはたらいていたので、源頼光はこれを退治しました。世に言う「大江山の鬼退治」です。この時に活躍したのが坂田公時らの四天王でした。また、京都の土蜘蛛(つちぐも)退治の時にも活躍しました。 1011年、筑紫の国(九州北部)の暴徒を征伐するために進軍した源頼光や坂田公時ら四天王は、大雪のため現在の岡山県勝田郡勝央町で足止めとなってしまいました。ここで坂田公時は重い病にかかってしまい、看病の甲斐なく12月15日に亡くなりました。55歳でした。ここに坂田金時を祭る栗柄神社があります。 |
長野県の金太郎 南木曽岳 |
南木曽岳(なぎそだけ)は、中央アルプスの南に位置し標高1679 mの山です。南木曽岳は別名「金時山」とも言われており、古くは山岳修験の山だったようです。登山道の案内板には南木曽岳の頂とは離れて金時山の頂が記されています。 |
南木曽岳の頂 |
金時山の頂 |
南木曽岳登山道の入り口近くに金太郎の産湯の池があります。 昔、南木曽岳に一人の山姥(やまんば)が住んでいました。その山姥が産んだ子が金時童子です。 |
産湯の池 |
南木曽岳はトレッキングが盛んな山で、約5時間で登り口-山頂を往復できるため、多くの 登山者が訪れます。また、この山には鎖場もあり、大きな石がいくつも見られる変化に富んだ山です。登山道を進むと金時の洞窟があり、ここで金時童子が生まれました。 |
洞窟の上 |
トレッキング上級者向けの山にふさわしく、何段も続く木のはしごや鎖場、大きな石など飽きさせない。 |
南木曽岳頂上 ここからの展望はよくなく、下山道を10分ほど歩くと南アルプスを眺められる場所に出ます。 |
下山道から金時山を見る |