管江真澄の図この地を訪れた管江真澄は次のような記録を残しています。 「門前 (男鹿の秋風) 文化元年(一八〇四)八月二六日小浜から門前に入り,赤神山の由来や伝説を真澄は「男鹿の秋風」の中に次のよう記述している。門前の浦に入った。袖垣に着物を干しかけてある。小橋を渡ると萱ぶきの堂がある。何が祭られているのか。飽海郡落伏寺(山形県遊佐町),陸奥の黒石寺(岩手県水沢市:現奥州市水沢区)などのように,自然石をたたんで御坂としていた。これも一夜のうちに鬼が集まって築いたという物語がある。伝え聞くところによると景行天皇の御代,庚辰十年に,近江の竹生島と同じくわき出た山という。紀伊の国(和歌山県)熊野の新宮,本宮になぞらえ,金剛,胎蔵ふたつの峰として,いま真山,本山という。 」次へ続く
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