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秋田県の徐福伝説

秋田県の男鹿半島は対馬海流のぶつかるところです。なまはげで有名なこの地域にも徐福にかかわる伝承があります。

男鹿半島秋田県の男鹿半島に赤神神社
(秋田県男鹿市船川港本山門前字祓川35)があります。地図

赤神神社景行天皇の時代,この地に中国の王朝前漢の皇帝である武帝が天から降りてきたという伝説があります。

赤神神社また,神社縁起の中に「日本武尊化して白鳥となり、漢の武帝を迎う。武帝は白馬に駕し、飛車に乗り、赤旗を建て、西王母と此の嶋に至る。」という記述があり,日本武尊の伝説とも関係があるようです。

赤鳥居 石塔の横に徐福塚徐福塚は五社堂の赤い鳥居近くにありました。

徐福塚実は,この塚は徐福塚復元実行委員会によって古図をもとに復元されたものです。実際に塚とされていた石は不明ですが,江戸時代の古図にはこの位置に記されています。この古図を描いたのは江戸時代の管江真澄という人で,東北地方や北海道を歩いて「遊覧記」としてその記録を残しました。1754年に愛知県豊橋市で生まれた管江真澄は,1783年から旅に出ました。

管江真澄の図この地を訪れた管江真澄は次のような記録を残しています。
「門前 (男鹿の秋風)
文化元年(一八〇四)八月二六日小浜から門前に入り,赤神山の由来や伝説を真澄は「男鹿の秋風」の中に次のよう記述している。門前の浦に入った。袖垣に着物を干しかけてある。小橋を渡ると萱ぶきの堂がある。何が祭られているのか。飽海郡落伏寺(山形県遊佐町),陸奥の黒石寺(岩手県水沢市:現奥州市水沢区)などのように,自然石をたたんで御坂としていた。これも一夜のうちに鬼が集まって築いたという物語がある。伝え聞くところによると景行天皇の御代,庚辰十年に,近江の竹生島と同じくわき出た山という。紀伊の国(和歌山県)熊野の新宮,本宮になぞらえ,金剛,胎蔵ふたつの峰として,いま真山,本山という。
」次へ続く

五社堂 「円仁(慈覚大師)が仁明帝の承和四年(837)のころ唐にわたり,文徳帝の仁寿の年(八五一~八五四)この山で修行され,天台の仏法を行い,赤神山日積寺永禅院といったが,近世になって真言宗に改宗したという。その昔には自寂院,仙壽院,印象院、円月院,照光院、泉光院など多くの寺々があったが,今は吉祥院,長楽寺だけ残っている。大門の仁王は運慶の作と伝えられている。楼の大鐘は明徳三年(一三九ニ)に鋳たものである。多宝塔は元徳三年(一三三一)阿倍高季が建てた。食堂はいかめしく,蓮の生えた池の面に,半ばきしでて建てられ,中島に弁財天の小さ祠があり,松が生いている風情はことにおもしろい。坂をはるばる登ると姿見の井戸がある。この水鏡がくもって,姿がぼんやり映った人は命が長くないという占いがあるという。またこの山に,五百人もの童をつれ,乱をのがれて不老不死の薬を採りにきたという。秦の徐福の塚というものがある。」 以上赤神神社内の案内板による

入道崎管江真澄は東北地方各地に足跡を残しています。東北地方では,新奥の細道として多くの名所旧跡で紹介しています。写真は男鹿半島入道崎に立つ管江真澄の道案内板です。地図

五社堂への階段赤紙神社の前から999段の石段があります。

999の石段 終点石段を上りきったところにあるのが五社堂です。


五社堂五社堂は赤神神社の本殿です。左から,「十禅師堂」,「八王子堂」,「赤神権現堂」「客人(まろうど)権現堂」,「三の宮堂」と呼ばれています。
 中央に祀られているのが祭神の赤神です。赤神神社の名前の由来ともなっています。
 五社堂には男鹿半島のなまはげ伝説があります。

五社堂景行天皇の時代,この地に中国の王朝前漢の皇帝である武帝(正式な諡号(しごう=おくりな)は孝武皇帝)が天から降りてきたという伝説があります。
秋田の昔話では,武帝は5匹のコウモリとともに,白い鹿がひく飛車に乗って男鹿にやってきました。コウモリは鬼と化し,武帝の忠実な家来になりました。
武帝が連れてきた鬼たちは大変よく働きました。あるとき,鬼たちが武帝に一日でもいいから休みがほしいと頼みます。そこで,武帝は5月15日を休みの日としました。喜んだ鬼たちは,村に下りて畑を荒らし,家畜や娘たちをさらっていってしまいました。

五社堂入り口怒った村人たちは,鬼を退治することを決心します。武器を持って戦いに挑みますが,力の強い鬼たちに勝てるはずがありません。さんざんな目にあって負けてしまいます。力ではかなわないと考えた村人たちは鬼に知恵で勝負をします。「毎年一人ずつ娘をさしあげるので,一晩で五社堂まで千の石段を築いてほしい。もし一番鳥が鳴く前に完成しなければ二度と村には来ないでほしい」と頼んだのです。村人たちは一晩で千の石段は鬼といえどもできるはずがないから勝てると考えていました。

赤神神社前の港日が沈むのを待って,鬼たちはさっそく石段造りに取りかかりました。山から石を運んでは積み上げていきました。すると,夜が明ける前に完成しそうなほど早く石が積み上がっていきます。これを見て慌てた村人たちは,物まねのうまい者(昔話ではあまのじゃく)を連れてきて,鬼たちがあと一段で千段というところで「コケコッコー」と鳴き真似をさせました。

男鹿半島に続く国道脇の なまはげの館 これを聞いた鬼たちは,大変驚きました。やがて髪を振り乱して怒り始めました。雷のような声を出したかと思うと,近くの千年杉を引き抜いて大地に突きさし,山に帰っていきました。それ以来二度と姿を見せることはなかったそうです。
 村人たちは五社堂に鬼たちを祀り,怒り狂った鬼たちの様子は,なまはげとして伝えています。