男鹿半島秋田県の男鹿半島に赤神神社 |
赤神神社また,神社縁起の中に「日本武尊化して白鳥となり、漢の武帝を迎う。武帝は白馬に駕し、飛車に乗り、赤旗を建て、西王母と此の嶋に至る。」という記述があり,日本武尊の伝説とも関係があるようです。 |
徐福塚実は,この塚は徐福塚復元実行委員会によって古図をもとに復元されたものです。実際に塚とされていた石は不明ですが,江戸時代の古図にはこの位置に記されています。この古図を描いたのは江戸時代の管江真澄という人で,東北地方や北海道を歩いて「遊覧記」としてその記録を残しました。1754年に愛知県豊橋市で生まれた管江真澄は,1783年から旅に出ました。 |
管江真澄の図この地を訪れた管江真澄は次のような記録を残しています。 |
入道崎管江真澄は東北地方各地に足跡を残しています。東北地方では,新奥の細道として多くの名所旧跡で紹介しています。写真は男鹿半島入道崎に立つ管江真澄の道案内板です。地図 |
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赤神神社前の港日が沈むのを待って,鬼たちはさっそく石段造りに取りかかりました。山から石を運んでは積み上げていきました。すると,夜が明ける前に完成しそうなほど早く石が積み上がっていきます。これを見て慌てた村人たちは,物まねのうまい者(昔話ではあまのじゃく)を連れてきて,鬼たちがあと一段で千段というところで「コケコッコー」と鳴き真似をさせました。 |
男鹿半島に続く国道脇の なまはげの館 これを聞いた鬼たちは,大変驚きました。やがて髪を振り乱して怒り始めました。雷のような声を出したかと思うと,近くの千年杉を引き抜いて大地に突きさし,山に帰っていきました。それ以来二度と姿を見せることはなかったそうです。 |