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京都府の徐福伝説

 京都府北部にある丹後半島は日本海に面しています。丹後半島には浦島太郎伝説があることでも有名ですが,紀元前3世紀,対馬海流にのってやってきた徐福が上陸した地としての伝承があります。

丹後半島

日本海を対馬海流にのって北上した徐福の船は丹後半島にたどり着きました。

丹後半島 京都府伊根町

日本三景の一つ「天橋立」から北へ,「舟屋」で有名な京都府与謝郡伊根町に徐福にかかわる伝説が残っています。

冠島

海上に浮かんでいるように見える冠島は常世島(とこよしま)とも呼ばれています。徐福の一行はこの島で仙薬を見つけ,丹後半島へ上陸したようです。徐福の求めた不老不死の仙薬とは,この島に生える黒茎の蓬(くろくきのよもぎ)や九節の菖蒲(しょうぶ)です。冠島は「天火明命」(あめのほあかりのみこと)の降臨地といわれています。

「天火明命」は宮津市にあり伊勢神宮の元になったとされている元伊勢籠(この)神社の祭神ともなっています。

ハコ岩

丹後半島では岩が浸食されてできた地形が至るところで見られます。徐福は「ハコ岩」と呼ばれるところに漂着しました。

「秦の始皇帝の侍臣,徐福着岸の趾」

丹後半島の先端に近い京都府与謝郡伊根町新井の海岸に「秦の始皇帝の侍臣,徐福着岸の趾」の碑が立つ場所があります。大きな岩で囲まれた洞穴のようになった場所で,現在の海水面からはやや高い位置にあります。

新井崎神社

「ハコ岩」から山の斜面を登ると新井崎(にいざき)神社があります。事代主命(ことしろぬしのみこと) 宇賀之御魂命(うかのみたまのみこと) と 徐福が祭神として祀られています。京都府与謝郡伊根町新井松川地図 

徐福は,医薬・天文・占い・漁業・農耕など多くの知識や技術などを伝えた産土神として祀られ,今も土地の人たちが大切にしています。

徐福は「仙薬が少なくて故国の都に帰ることができない」と言って,ここに住みついたと伝えられているのです。新井崎神社を童男童女宮(とうなんかじょぐう)とも呼びますが,徐福に同行した3000人の童男童女にちなんだ名だと思われます。ご神体は高さ30㎝ほどの男女二体の木像です。

浦嶋(宇良)神社新井崎神社から北西に行ったところに浦嶋(宇良)神社があります。淳和(じゅんな)天皇の天長2年(825年)に浦嶋子(うらしまこ)を筒川大明神として祀った神社です。浦嶋子は龍宮城で有名な浦島太郎で,各地にその伝説がありますが,この地の伝承が元になっています。中国の神仙思想と結びついて日本独自の伝説となって今に伝わっていると考えられています。
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